ダニエル T.マックス『眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎』

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎

とてもおもしろかった。この本はタイトルで損しているように思う。プリオン病に関する本です。

プリオンというのはBSE(いわゆる狂牛病)やクロイツフェルト・ヤコブ病の病原体として有名だが、これはウイルスでも細菌でもない。しかしこれに人間が感染すると長い潜伏期間の末に脳がスカスカになって1~2年で死に至る。プリオンというものは非常に恐ろしい病気を引き起こす病原体なのだが、これの正体がなんとただの蛋白質なのである。

タイトルの「眠れない一族」というのは、高齢になると睡眠をとることが不可能になりその結果死に至る奇怪な遺伝病を持った一族のことで、これの原因が遺伝性のプリオン病であったという。タイトルだけ見るとその一族にだけクローズアップした本のように見えるが、それはあくまでも一要素にすぎない。エピソードは狂牛病に近い症状が発生するスクレイピーという羊に感染する病気から、ニューギニア島の原住民の間で行われていた食人習慣によって引き起こされるクールー病まで、さまざまなプリオン病のエピソードを紹介している。さらに、クールー病の研究で知られるダニエル・カールトン・ガジュセックは小児科医でありながら同時に児童性愛者でもあり、都会の色に染まっていない無垢な子供たちと触れ合うためにニューギニア島へ赴き、そこでの研究がノーベル賞の受賞に結びつくという数奇なエピソードなど、(不謹慎かもしれないが)端から端までたのしい。

プリオン蛋白質であってウイルスではない。すなわち遺伝子を持たないし生物でもない。それがどのように自己増殖を繰り返し生き延びていくのか(生物じゃないから生き延びてもいないのだが)、また具体的にどのようにして病気を引き起こすのかというところがいまいちよくわからなかった。でもそれは自分の理解力が低いからで……ポピュラーサイエンスの本としてのおもしろさは満点といっていいだろう。

スティーブン・ピンカー『言語を生みだす本能』

言語を生みだす本能〈上〉 (NHKブックス)

言語を生みだす本能〈上〉 (NHKブックス)

言語を生みだす本能〈下〉 (NHKブックス)

言語を生みだす本能〈下〉 (NHKブックス)

自分はチョムスキーの理論、なかんずく生成文法については昔から存在自体は知っていたものの、それについて深く知る気が全くなかった。というのも、言語というものは文化的に発生するものであって本能として備わっているものではないという(根拠のない)信念があったからなんだけど、ここ最近いくつか進化生物学の本を読んでそれについて考えなおすようになった。

本書は人間が生まれながらに持つ(書名そのままの)「言語を生みだす本能」についての啓蒙書で、言語学におけるチョムスキー理論を簡単に解説した本と言い切ってしまってもいいだろう。さまざまな事例と研究成果をもとに、脳の中にある「普遍文法」と言語習得のメカニズムについて軽妙に語る。

チョムスキー以前の学説で支配的だった言語的相対論の通説では、言語が思考の認識自体に影響を与えると考えられていたが(サピア・ウォーフの仮説)、ピンカーはこれをぶったぎり本能自体が言語を生み出すのだと言う。おもしろい。おもしろいし、数々の事例も説得的で納得もできる。幼少期に周囲の環境から受けた影響だけでここまで複雑な言語能力が備わる(しかも三年程度で)というのは確かに信じがたく、脳になんらかの言語を生み出す器官があるとしか思えない。が、チョムスキーの理論はもう何十年も議論の的になっているものの決定的な結論が出ているわけではなく、もっと他の本を読んでみる必要があると感じた。

中谷宇吉郎『雪』

雪 (岩波文庫)

雪 (岩波文庫)

青空文庫のものを読んだ。

作者の意図とは別だと思うが、科学的発展は貪欲な探究心によって起こるというのがよく描かれていておもしろい。しかし、著名な本だが今あえてこれを読まなければならない必然性というのも乏しいように思う。

一般に知られている雪の結晶の形は綺麗な正六角形の物が多いが、実際に多く観察されるものは不定形のものが多く、端的に言って見た目には汚いという指摘には、何事につけわかりやすく綺麗なものにだけ目を向けがちだが、そればかりだと事実を見損なうものだなあと勝手に納得した。

ジョン・ディクスン・カー『火刑法廷』

火刑法廷[新訳版] (ハヤカワ・ミステリ文庫)

火刑法廷[新訳版] (ハヤカワ・ミステリ文庫)

オカルトフレーバーの本格ミステリ。で、最後に! という感じ。これこそミステリの真骨頂だなー。この世には不思議な事など何もないのだよ、関口君!

新訳で読んだからなのかもしれないけど古い感じが全然しない。トリックは?と思わなくもないけどおもしろいです。

マリオ・バルガス=リョサ『継母礼賛』

継母礼讃 (中公文庫)

継母礼讃 (中公文庫)

ひとことで言うと、熟女ものだ。

四十代の人妻が主人公。血の繋がっていない夫の連れ子の溢れんばかりの性的好奇心に押し切られ、ついつい体を許してしまう人妻。しかし理由はどうあれ結果的に夫の息子と関係を持ってしまった彼女は、ついには子供自身のイノセンスによって破滅するのであった。

近親相姦とそれによる楽園追放という構図は多分に神話的だし、あの描写はこれこれを象徴しているのだとかそういうことはいくらでも言えそうではあるが、格調高い文体などの装飾を剥ぎとってみると、実際週刊誌のエロ記事とさほど変わらなくなってしまうのではないだろうか。こういうの実録物とかでたまにあるよね。

マリオ・バルガス=リョサの作品の中では例外的に短くて読みやすい小説なのだけれど、バルガス=リョサの作品に初めてふれるひとにはおすすめしない。

まあ別にエロ小説でもいいんだけど、個人的には特に心に刺さるものはなかったかなあ。

マルカム・ラウリー『火山の下』

火山の下 (EXLIBRIS CLASSICS) (エクス・リブリス・クラシックス)

火山の下 (EXLIBRIS CLASSICS) (エクス・リブリス・クラシックス)

正直よくわからなかった。

強引にまとめるとアル中が破滅するはなしなんだけど、で、なんなの? と言いたくなってしまう。好きなひとは好きなんだろうけど、ちょっと自分にはぴんとこなかったな。

たしかロベルト・ボラーニョが『野生の探偵たち』のエピグラフでこの小説を引用してた記憶があるんだけど、なんとなくそれはちょっとわかるかもしれない。詩歌の教養がいるような気がする。

リチャード・プレストン『ホット・ゾーン―恐怖!致死性ウイルスを追え! 』

ホット・ゾーン―恐怖!致死性ウイルスを追え! (小学館文庫)

ホット・ゾーン―恐怖!致死性ウイルスを追え! (小学館文庫)

アフリカのキンシャサ・ ハイウェイ。HIVの感染が爆発的に広がった地帯としても有名なこの場所で、ひも状の奇妙な形をしたウイルスが発見された。その名をマールブルグという。このウイルスに感染した患者は、全身の筋肉が溶け、皮が剥がれ落ち、体中の穴という穴から血を噴出し、ついには死に至る。次々と増えていく犠牲者に人類を恐怖が襲う、しかしマールブルグウイルスは比較的感染力が低いため、短時間で沈静化に向かっていく……。

時はたち、次第にひとびとは恐怖のウイルスの記憶を忘れつつあったが、ドイツでマールブルグと同型のさらに悪質なウイルスが発見される。その名はエボラ。感染した際の致死率は90%。羅患すなわち死と言っても過言ではない恐怖のウイルスだ。

この作品で描かれるのは、ワシントンの「モンキーハウス」で突如発見されたエボラウイルスと、それを封じ込めるため決死の思いで立ち向かう人間たちの戦いのドラマである。

おもしろかった。というよりおもしろすぎる。事実をそのまま書くのではなくて、実際に起った事件を元にかなり脚色して小説仕立てにしているから、まるでフィクションのように現実味がない。しかし、この本で描かれている出来事はまさに現実離れした恐ろしくも奇妙なストーリーなのだからこれくらいでいいのかもしれない。