2012-05-10

ポストメディア編集部『メイキングオブ マイマイ新子と千年の魔法』

メイキングオブ マイマイ新子と千年の魔法

最近どうも涙もろくなっていてよくない気がする。映画『マイマイ新子と千年の魔法』を観て思わず泣いてしまう。アニメを観てこれほど感動したことっていままでに無いかもしれないと思う。

舞台は昭和三十年の山口県防府市。田舎だからもちろん周りは山と田んぼしかないのだけれど、そこは千年前であれば周防国の都だったかもしれない場所だ。ひょっとすると、はるか昔には大きな屋敷がたくさん立っていて、大勢の貴族が暇を持て余していたのかもしれない。主人公である少女の新子と都会から引っ越してきた貴伊子はそんな空想に遊び、幼少の清少納言が生きる千年前の都に思いを馳せる。

少年少女の友情の物語を軸にして、平安時代の情景を軽やかに現出せしめ重ね合わせる手法は驚くほど巧みだけれども、それ以上に小さな物事、道端に咲く花であるとか、なにげない人物の仕草、着ている服や髪型、家具、街並み、机の上の小道具、それらのちょっとした物、ひとつひとつの小さな要素が幾重にも組み合わさり映画を形作っていて、平板になりがちなアニメーションという大きな嘘にリアルな重みのある質量を与えている。

特筆したいのが花の描き方で、草花はこの映画の影の主人公と言っていいくらい華やかで美しく、それだけで何度も観たいと思わせるものがある。この本の「マイマイ植物図鑑」の章では映画に出てくる花の名前などが詳しく解説されていて、買ってよかったと感じる。ぼくの出身は防府市にわりと近い島根県の益田市というところなのだけれど、田んぼのすぐそばに彼岸花(地元では曼珠沙華と呼んでいた)がたくさん咲いていたり、ああ昔はこんな感じだったなとしみじみとしてしまう。

そう言ってしまうと単なるノスタルジーに浸るための作品と思われるかもしれないけれど、まったく違う。まさに魔法のようなとても素敵な作品だと思う。

2012-04-16

しばらく読んだ本の感想を書くのをサボっていたのでまとめて書く。

ジョン・アップダイク『クーデタ』。ストーリーがどうこうというよりも、文章そのものの流麗な美しさに驚く。ジョン・アップダイクは小説家であるとともに詩人でもあるので、言葉の選び方がとても巧みだ。簡潔で迷いやゆらぎがなく、しかも装飾的でもあって豊か。ちなみに訳者の池澤夏樹も詩人として文学者のキャリアを始めている。ウィットに富んでいて、カート・ヴォネガットに近いものを感じた。

石川雅之『もやしもん』(11)。農大でのミスコンと日本酒造りのエピソードが並行して描かれる。安定しておもしろい。このマンガに出てくる女性(と女装した男性)はみんな自分に自信を持っていて強いので、変にいやらしい感じがしなくていいと思う。下品じゃないというか、健康的。日本酒についてのエピソードをもっと読みたかったんだけど、それは次巻か。

山口貴由『エクゾスカル零』(2)。一巻はなんだこれって感じでちょっとよくわからなかったんだけど、二巻で明確な筋道がついてきた。でも、『覚悟のススメ』のユーモアも『シグルイ』の外連味もいまのところあまり感じないのが正直なところ。

mebae『NONSCALE』。アニメーターでありイラストレーターでもあるmebaeの初の単著。全編マンガの単行本ということで、ちょっと嫌な予感がしていた(アニメーターが描くマンガは、率直に言ってマンガとして出来があまりよくない場合が多い)のだけれど、その心配は杞憂だった。収録作はどれも比較的少ないページの短編なのに、作品ごとに必ずアイディアが入っている。マンガとして読んでおもしろいし、もちろん絵もとてもいい。ぼくがmebaeの作品をはじめてみたのはpixivだったと思うけど、その後に読んだ『AURA~魔竜院光牙最後の闘い~』のイラストでファンになった。マンガもいいけどイラスト集も出版をお願いしたい。

伏見つかさ『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(10)。このシリーズももう十巻かと感慨深いものがある。妹とその友人たちに振りかかる困難を兄が奔走してなんとか解決するというのがこの作品の基本的なプロットだけど、この巻では兄が妹たちから世話を焼かれるという逆のパターンになっている。そのため、なんというか、鬱陶しいというか、メインエピソードもストーキング被害に関するもので、あまり愉快なはなしではない。というか、京介氏は実質的に黒猫と付き合ってるようなものなんだから、これ以上人間関係がややこしくなってくると、今後の展開を想像して、ああめんどうくさいなと感じてしまう……。自分自身が黒猫派であやせにはあまり関心がないからそう思うのかもしれないけど。

2012-04-15

どうにもイライラしてしまってひとに強く当たったり、過剰なものの言い方をしてしまう。せめて感謝の意を伝える時くらいは笑顔で「ありがとう」と言わなければならんと思っているのに、どうもぎこちなくなってしまう。やけに他人に厳しくなっていてよくないと思う。

でも、自分が抱いている憤りを自分の中で握りつぶしてしまうのではなくて、いびつであっても表に出して不満を表明して、自分がどういうように考えているのかをちゃんと伝えるようにしないと、結局は不信のもとにすべてがだめになってしまう。アルベルト・モラヴィアの『軽蔑』を読んでそう思った。というか、読んだ当日にはそういうことは思わなかったんだけど、いまは思うようになった。もっとも『軽蔑』はそういうことがテーマの小説ではないから、自分の体験を重ねあわせて勝手にそのように読んだというだけのことなんだけど。

ぼくの母親はいま小学校で図書館司書をしていて、本人もわりと沢山の本を読んでいる。以前母に小説を読んでもたいした意味なんてないという趣旨のことを話した時に、いやそんなことはないと、読んだ時には意味が無いと思っていても、今後の人生でふっとあの小説のあれはこういう事だったのかと思うときがあると言われたことがある。

ぼくは小説(マンガやアニメや映画でもそうだけど)の物語から教訓めいたものを読むのが嫌いで、読書という体験そのものを味わいたいと思っている。道徳的に良いことが書いてあるとか、徳性が啓発されるだとか、そんなことに興味はない。だから小説をたくさん読んでも、人間的に成長したりなんていう都合の良い事はない。だからたいした意味はない。という考えだったんだけど、いまやっと母の言いたかったことが理解できたように思う。

これは余談だけど、関西人(取り分けて大阪人)はとても気軽に「ありがとう」と言う。一例を上げると、コンビニでなにかものを買ったあとなどにお釣りと商品を店員から受け取って「ありがとう」と言う。ちょっとしたことなんだけど、これは関西の文化の中でも最も良質なもののひとつだと思っていて、積極的に真似をしている。

2012-04-10

久住昌之(原作) 水沢悦子(マンガ)『花のズボラ飯』(2)を読む。この巻もとてもおもしろかった。

この作品は出てくる料理がおいしそうという以上に、主人公の花のリアクションが極端におかしくてつい笑ってしまう。でも、こういうひと実際いる。ぼくはわりと食が細いほうであまり食べられないので、そういうごはんをおいしそうに食べるひとをみると嬉しくなるし、このマンガも読んでいると楽しい気分になる。

ワッフルメーカーでホットケーキを作る回で、まず実験的にブルーチーズを一列だけのせて、おそるおそる食べてみたらとてもおいしかったので全部の穴にブルーチーズをつめてまた食べるという描写には声を上げて笑ってしまった。ワッフルの型のあの穴にチーズをつめるという発想がおかしいし、実際そういうシチュエーションにあったら自分も同じ事をやるかもしれないという絶妙なところを突いてると思う。

一巻ではわりと単純なコメディだったものの、この第ニ巻ではある一個の物語が全体を覆っている。花が公園で子供連れの家族を見て思いにふける情景を一コマだけふっと入れてきたりして、さすがうまいと思う。

2012-04-09

オルハン・パムク『わたしの名は紅』を読む。素晴らしい作品だと思う。ハードカバーで600ページを超える大部の小説だが、あまりのおもしろさに巻を措く能わず読みふけり、あっという間に読了してしまった。

時は西暦1591年。イスラーム暦千年を翌年に控えるオスマン帝国は、文化的に栄華を極めたきらびやかな黄金時代から後退しつつある時代にあり、国力においてもキリスト教連合軍に押されはじめるなど衰退期の入り口にあった。物語は、そのオスマン帝国の首都イスタンブールにおける芸術家たちを中心として描かれる。

オスマン帝国の根底にあるイデオロギーはもちろんイスラームだ。厳格なイスラームの教義では具象絵画は偶像崇拝につながるため忌避されていて、その代わりにカリグラフィーやアラベスクなどの幾何学文様が急速に発展した経緯がある。しかし、オスマン帝国内においては極端な思想統制は行われず文化的多様性が保たれており(そもそもイスラームの中でも宗派がいろいろあってスンニ派とシーア派だけでもかなり違う)、イスラーム芸術の本家ペルシアと同様に、絵画などの美術の腕が熱心に競われていた。16世紀末のこの時代、イスタンブールの芸術はペルシアを凌ぎイスラーム世界の頂点に達していたという。

細密画(ミニアチュール)に関しても例外ではない。ミニアチュールというのは写本に附属している挿絵のことだ。先にも述べたように、当時のイスタンブールにおいてはその芸術は限界にまで達しており、伝統的な技術からの脱却を模索する時期にあった。この小説の主人公はそのミニアチュール絵画の技師たちであり、それらの人々が章ごとに交代し一人称で物語を物語っていく。いや、語り部は人間だけにとどまらない。ときには犬や悪魔、果ては金貨や紅い絵具までが言葉を発し、イスタンブールの街を重層的に紡ぎ出していく。こういうと突飛なフィクションという印象を受けるかもしれないけれども、そうではぜんぜんなくて基本的には地に足がついたリアリズム小説だ。

イスタンブールのある現在でいうところのトルコ共和国は、キリスト教国のギリシャ、ブルガリア、グルジアアルメニア、さらにイスラーム教国のイラン、イラク、シリアが国境に面していることからもわかるように、歴史的に特異といえるほど多文化の混交する地域だった。特に首都イスタンブールは、長らく東ローマ帝国の首都でもあったという経緯に加え、地理的にもバルカン半島のトラキアと小アジアとも言われるアナトリアを股にかけた、まさにヨーロッパとアジアの架け橋として存在する地域であり、イスラーム文化圏でありつつもヨーロッパの文化を色濃く受けている都市だ。

ここで16世紀末という巧みな時代設定が生きてくる。当時のヨーロッパ美術は、ルネサンスという空前絶後の芸術革命を経た後であり、爆発的な爛熟の時代にあった。その影響は当然イスタンブールにも流れこむ。古典からの脱却を図り日々研鑽を努める絵師たちがルネサンス芸術から受けた衝撃は如何ほどばかりだったろうか。それらのヨーロッパの技術を自分の作品に取り込みたいと思うのは、芸術家なら当然の発想だろう。しかし、イスラーム芸術においては、ルネサンス芸術のように目に見えたものをそのまま描くのではなく、頭の中の絵を描かねばならない。それが神に背かない方法なのであった。ルネサンス芸術を自作に取り込むことは伝統の破壊であり神に対する背信につながる。芸術家達は苦悩し、自分たちなりの方法を模索していく。しかし、そこで絵師たちを対象とした謎の連続殺人事件が発生する……!

この作品は、イスタンブールという都市における文化の衝突と宗教の対立という特異な素材を扱いながらも、しかしそれでいて世界文学としての不変的な要素を一片も失わずに主軸とし、しかもミステリとして、エンターテインメントとしても抜群のおもしろさを持っている。そこが素晴らしい。

オルハン・パムクは日本ではいまいち知名度が低い作家だが、トルコの国民的作家であるとともに世界的にもとても著名な作家で、数々の傑作を発表し続けている。こう言うと陳腐に聞こえるかもしれないが、9・11以降の世界において最も重要な文学者といっていいだろう。イスラーム世界と西洋の対立というテーマをこれほど生々しく描ける作家は他にいない。2006年にノーベル文学賞を受賞している。

ぼくはこの『わたしの名は紅』を藤原書店から出たハードカバー版で読んだが、今年のはじめに早川書房から新訳の文庫版が出ていたようだ。価格も半分になっており好ましい(文庫本にしては高いけれど)。

また、この作品もすばらしいが『雪』はさらにおもしろいのでそちらも文庫化されることを強く期待している。

2012-04-05

アルべルト・モラヴィア『軽蔑』を読む。サルトルは「地獄とは他者である」と言ったが、この作品はまさに他者という地獄を執拗に描き出し、読者を困惑せしめ、陰鬱な気分に叩きこむ。すさまじい。これほど生々しくて苦々しい小説もなかなか無いんじゃないだろうか。

主人公の男とその妻は夫婦生活を始めて二年になる。金銭的に苦しむことはあるにせよ、ふたりは共に愛しあい、日々をなんとかうまく過ごしていた。しかし、とあるちょっとした事件をきっかけとして、妻の夫に対する愛情が忽然と消え去ってしまう。ほんとうになんでもないようなことなのだけれど、それは妻にとっては決定的だった。男はなぜ妻が自分から離れていくのかがわからない。妻も寡黙な性格ということもあって、自分自身の冷め切った感情をうまく説明することもなく、関係を修復することを放棄してしまう。妻に捨てられることを恐れるあまり、男はなにが問題だったのかを執拗に問いただすが、それがさらに妻をうんざりさせる結果をもたらす。最後にはふたりの関係は破綻するしかない。

彼女はわたしの言葉通りに長椅子に腰はおろしたが、我慢ができないというようにわたしに答えた。「話すことなんて何もないわ。あなたをもう愛していない、それだけよ……」

分別を失うまいとすればするほど、言いようのないあの苦痛のとげがわたしの胸に食い込んだ。わたしはやっとの思いで笑みを浮かべると言った。「しかし、きみだって少なくとも、ぼくに説明をしなきゃならないことは認めるだろう……。女中にひまをだすときだって、その理由は伝えるからね……」

「あたしはもうあなたを愛していないのよ。それ以上言うことは何もないわ……」

「だけど、どうしてなんだい? 以前は、きみはぼくを愛していたじゃないか、そうだろう?」

「ええ、とっても愛していたわ……。でも、今はもうおしまいよ」

「ぼくをとっても愛していた?」

「ええ、とっても……でももう、おしまいよ……」

「いったい、どうしてなんだい?……何か理由があるだろう?」

「たぶん……。でも、それは説明できないわ。あたしにわかっているのは一つだけ、それはあたしがもうあなたを愛していないということよ」

「いつまでもそればかり繰り返すのはやめてくれないか!」わたしは思わず声を荒らげて叫んだ。

 「あたしに繰り返させるのはあなたよ……。あなたが納得しないからよ……。だから繰り返すのよ……」

なんでこんなつらい小説を読まなければならないんだ……。