舞城王太郎『JORGE JOESTAR』

JORGE JOESTAR

JORGE JOESTAR

舞城王太郎による『ジョジョ』の翻案?っていうか二次創作みたいな小説。

ネットのレビューなんかをみてみると、この作品に対して怒ってるっていうか激怒してるひとが多くて、そりゃ『ジョジョ』の熱狂的なファンがこれ読んだら激怒しても無理ないと思うし、「九十九十九」だの「西暁町」だといったいつもの文字列が並ぶ目次を見た時点でこれがふざけた小説だということに気付いて本を閉じた方がよかった。

舞城の小説をいくつも読んでいるひとは、さほど驚きもなくつらつら読み進めて、それであるところまで読んでると不可解な殺人事件が起きて、名探偵とはなんぞやとかそういうメタ的な議論が始まって、ああこれは『ディスコ探偵水曜日』なんだとたぶん気付く。でも同時に『ディスコ探偵』ほどおもしろくないなとも感じるんじゃないかと思う。

『ディスコ探偵』はむちゃくちゃな小説だけど、それでもミステリという歴史と伝統ある強固な土台があってその上を飛び回ってる感じで、基礎がしっかりしてるから安心して読める。最後には落ち着くところに落ち着くとわかる。ミステリのお約束があって、それを踏まえたうえで土台にハンマーを叩きこんでるからアンチミステリとして成立している。でも『JORGE JOESTAR』は様々なキャラクターが好き勝手にあっちこっちに走ってるだけというか、一応ミステリっぽい仕掛けはあるんだけど、はっきり言ってどうでもいい感じになってるっていうかうまくいってない。そのため全体的に散漫になっていて自分が何を読んでいるのかわからなくなってくる。

舞城が描くミステリのトリックの強引さというかこじつけ具合というか辻褄が合ってるように見えてまったく合ってないところとかは荒木飛呂彦のスタンド理論にわりと近いものがあると思うんだけど、この小説は荒木飛呂彦よりも清涼院流水の作品に近いのではないかと感じる。妙なキャラクターがとにかくたくさん出てきてよくわからないけど無駄に勢いだけはあるストーリーを延々と繰り広げるところなんて流水の『カーニバル』にそっくりだと思う。この作品によって舞城王太郎は人類二人目の流水大説の書き手となったのだ。それは結構すごいことだと思うけど、流水の作品のように評価が真っ二つに分かれるような問題作でもなく、なんか微妙な感じだけが残る。