リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

とても有名な本なのでおおよその内容は知っていたのだけれど読むのは今回が初めて。ここのところ進化生物学に興味が出てきたこともあって、いちおう目を通しておかないとまずいかなと思っていたのだけれど、なぜか家の本棚に古い版のものがあった(いつ買ったのか記憶にないが無闇に本を買っているとこういうことがある)ので読んでみた。

生物は時に利他的に見える行動を取るが、それは自己の遺伝子のコピーを増やすための戦略であって、遺伝子の視点から見ると利己的な行動にすぎない。生物は遺伝子の乗り物であり、生存機械(survival machine)なのである。というのがドーキンスの主張で、それについて数々の事例が紹介され、なぜ群淘汰説が誤りで遺伝子淘汰説が正しいのかを丁寧に説明していく。

ドーキンスの主張はとてもわかりやすいのだけれど、あまりにもわかりやすすぎて鵜呑みにするのがはばかられるものがある。一例をあげてみよう。

人間の女性は閉経したあとも長期間にわたって生き続けるが、これは哺乳類の中でもあまり見られない特異な現象だ。女性は五十歳程度の年齢に達すると月経が停止し排卵が行われなくなる。男性の場合は死ぬまで精子を生産でき、自分の遺伝子のコピー(すなわち子孫)を作り出すことができるのに、なぜ女性だけ一定年齢で生殖能力が失われるのだろうか。常識的に考えたら、閉経が起きる個体よりも死ぬまで子供を出産できる個体の方が子孫を増やせそうに見える。だから、閉経が起きる因子を持った遺伝子は自然淘汰によって存在しなくなるだろう。しかし、現実にはそうなっていない。

そこで、ドーキンスは閉経という現象についてこう説明する。

出産というのは母体にとってリスクのある行為で、年齢を重ねるとそのリスクも上昇していき、場合によっては死に至ることもある。また人間の幼児は成熟するまでにかなりの長年を要し、生まれてすぐに自分の足で立って食料を探すという事ができない。つまり母親が死んでしまったとすると、幼い子供達も生き延びる可能性が低くなってしまう。すなわち自分の遺伝子を広められなくなってしまう。そこで女性が年齢をある程度まで重ね、出産によるリスクがある程度まで高まった時点で月経をストップさせる事によって、新たな出産によって発生するリスクを無くし、すでに存在している子供や孫たちの養育に全ての労力を割けるように仕向けることが自身の遺伝子のコピーを増やすために有利となり、そのため閉経という現象を獲得することが進化的に安定な戦略(evolutionarily stable strategy)となったと。

確かに言われてみると論理的には納得できるのだけど、本当なのだろうかという思いも抱いてしまう。

物理学なんかの場合はわかりやすい。例えば、アインシュタイン一般相対性理論はとても常識では信じられないような理論だが、太陽近郊に位置する恒星から発せられる光が地球に届くまでに太陽の重力場の影響を受けて曲がる現象によって確認ができるし、様々な方法で客観的な検証もでき再現性もあるからその正しさが理解できる。しかし、生物の進化というのはとてもとてもとても長い時間がかかる現象であって再現が不可能であるため(数十年に渡ってハエの交配を続けている研究などもあるけれど)、それが仮説の域にとどまっているのか、実証的な研究があるのか素人にはわかりにくいと思った。

この本はポピュラーサイエンスの本であって論文ではないから、実際にそれがどのように検証されているのか判断を下しにくく、あまり真に受けずにもっと色々な研究について知ることが必要だと感じる。

単純に読み物としておもしろい本なのだけれど、最終章で「ミーム」という概念を提唱し、利己的遺伝子理論を拡大して社会科学の領域にまでアプローチするところは感心しなかった。はっきり言ってかなりナイーブというかなんというか、こういう素朴な意見は微笑ましいとは思うけど、それ以上のものではないだろう。