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シェンキェーヴィチ『クオ・ワディス』

クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)

クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)

クオ・ワディス〈中〉 (岩波文庫)

クオ・ワディス〈中〉 (岩波文庫)

クオ・ワディス〈下〉 (岩波文庫)

クオ・ワディス〈下〉 (岩波文庫)

いやー、とてもおもしろかった。

時に清流のような美しさがあると思えば、また時に噴火する火山のような圧倒的な力強さも感じさせ、その一片の隙もない文章には、心地良い陶酔感すら覚える。

時は紀元一世紀。舞台は古代ローマ。都を治めるのは皇帝ネロ。暴君の悪逆非道な行いに翻弄される男女の運命。二人を繋ぐのは異教たるキリストへの信仰。このロマンス!

ただ、(ノーベル賞作家に喧嘩を売るのは恐縮だが)この作品が文学として優れているかと言われると、ちょっと疑問に思わずにはいられない。

例えば、キリスト教への信仰が物語の根幹に関わってくる小説として『カラマーゾフの兄弟』と比べるといささか見劣りしないか? 『カラマーゾフの兄弟』にある信仰に対する全身全霊の自己の存在そのものを賭けた格闘のようなものは表現しえていないのではないか?

この作品を読んでいたく感動するというのはある。復活したイエスに対して使徒ペトロが「クオ・ワディス・ドミネ?(主よ、どこへ行かれるのですか?)」と問いかけるシーンなどは(もちろん伝承通りなのでそのエピソードを知っているにもかかわらず)自分も感動したし、ペトロニウスがネロに対する反逆の意味を込めて静脈を切って自死を行うシーンの美しさには驚愕すらした。ただこの作品を読んで、自分の存在そのものが根底から揺さぶられるようなことはないと思う。優れた文学にはそれだけの力があるけれど、この小説からはそれを感じない。それは、この作品があまりにも整然とし過ぎているからじゃないだろうか? 人間ってもっともっと複雑なものじゃないだろうか?

だから一級の世界文学と言うのはちょっと違うと思うけれど、すでに述べたようにとてもおもしろい作品だし、凡百の小説とはまったく水準が異なる。歴史小説の大傑作であることに異を唱えるひとはいないだろう。