マリオ・バルガス=リョサ『チボの狂宴』

チボの狂宴

チボの狂宴


文句のつけようのない大作。めまいがするほど圧倒的。

岩波文庫版の『緑の家』の帯には「「小説の行き詰まり」「小説の困難」とはおよそ無縁の……これぞ小説!」とあったのだけれど、この作品にもまったく同じ賛辞を送りたい。

ドミニカの独裁者ラファエル・トルヒーヨの晩年を精巧な筆致で時間と空間を超え多角的に描き出して一片の隙もない。基本的に事実を元にしたリアリズム小説で、同じトルヒーヨを扱ったガルシア=マルケスの幻想文学の傑作『族長の秋』とは好対照といえるほど趣を異にしている。ガルシア=マルケスはトルヒーヨを牛の怪物であるかのように描写していたが、バルガス=リョサは好色なチボ(羊)と形容しているのもおもしろい。

年老いた独裁者をめぐるメインエピソードだけでなく、小説の隅々まで研ぎ澄まされている印象を受ける。

例えば、ロマン将軍の哀れな末路。

国軍のトップでありながらトルヒーヨを裏切る算段をし、反体制派の手助けを行うロマン将軍は、ここ一番の状況でクーデターの決断を下せずにずるずると破滅の道に引きこまれていき、ついにはこれ以上ないほどの凄惨な拷問の生き地獄に陥ってしまう。そのあまりにもみじめな姿は、ドストエフスキーの『罪と罰』で言うところのスヴィドリガイロフのように巨編のうちのほんの少ししか出番がない端役であるにもかかわらず強烈な印象を残す。

トルヒーヨを題材として扱った小説は先に上げた『族長の秋』や ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』などがあるがどれも傑作で、トルヒーヨという暗君の文学の素材として優秀さを感じる。

『族長の秋』や『オスカー・ワオ』をすでに読んでいたから、ドミニカの簡単な歴史については頭に入っていたし、トルヒーヨの末路についても知っていたにもかかわらず、トルヒーヨ暗殺が決行されるシークエンスには息苦しくなるほどの緊迫感を覚えた。

かなり残酷な暴力表現が頻出して後味も悪い小説だから多くのひとが読んでいやな気分になるだろうし、過剰に濃密で熱量の高い文章は読者をへとへとに疲れさせてしまうけれど、六十歳を超えた作者の円熟の一冊で、類まれな傑作であることは論をまたない。