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どうにもイライラしてしまってひとに強く当たったり、過剰なものの言い方をしてしまう。せめて感謝の意を伝える時くらいは笑顔で「ありがとう」と言わなければならんと思っているのに、どうもぎこちなくなってしまう。やけに他人に厳しくなっていてよくないと思う。

でも、自分が抱いている憤りを自分の中で握りつぶしてしまうのではなくて、いびつであっても表に出して不満を表明して、自分がどういうように考えているのかをちゃんと伝えるようにしないと、結局は不信のもとにすべてがだめになってしまう。アルベルト・モラヴィアの『軽蔑』を読んでそう思った。というか、読んだ当日にはそういうことは思わなかったんだけど、いまは思うようになった。もっとも『軽蔑』はそういうことがテーマの小説ではないから、自分の体験を重ねあわせて勝手にそのように読んだというだけのことなんだけど。

ぼくの母親はいま小学校で図書館司書をしていて、本人もわりと沢山の本を読んでいる。以前母に小説を読んでもたいした意味なんてないという趣旨のことを話した時に、いやそんなことはないと、読んだ時には意味が無いと思っていても、今後の人生でふっとあの小説のあれはこういう事だったのかと思うときがあると言われたことがある。

ぼくは小説(マンガやアニメや映画でもそうだけど)の物語から教訓めいたものを読むのが嫌いで、読書という体験そのものを味わいたいと思っている。道徳的に良いことが書いてあるとか、徳性が啓発されるだとか、そんなことに興味はない。だから小説をたくさん読んでも、人間的に成長したりなんていう都合の良い事はない。だからたいした意味はない。という考えだったんだけど、いまやっと母の言いたかったことが理解できたように思う。

これは余談だけど、関西人(取り分けて大阪人)はとても気軽に「ありがとう」と言う。一例を上げると、コンビニでなにかものを買ったあとなどにお釣りと商品を店員から受け取って「ありがとう」と言う。ちょっとしたことなんだけど、これは関西の文化の中でも最も良質なもののひとつだと思っていて、積極的に真似をしている。