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オルハン・パムク『わたしの名は紅』を読む。素晴らしい作品だと思う。ハードカバーで600ページを超える大部の小説だが、あまりのおもしろさに巻を措く能わず読みふけり、あっという間に読了してしまった。

時は西暦1591年。イスラーム暦千年を翌年に控えるオスマン帝国は、文化的に栄華を極めたきらびやかな黄金時代から後退しつつある時代にあり、国力においてもキリスト教連合軍に押されはじめるなど衰退期の入り口にあった。物語は、そのオスマン帝国の首都イスタンブールにおける芸術家たちを中心として描かれる。

オスマン帝国の根底にあるイデオロギーはもちろんイスラームだ。厳格なイスラームの教義では具象絵画は偶像崇拝につながるため忌避されていて、その代わりにカリグラフィーやアラベスクなどの幾何学文様が急速に発展した経緯がある。しかし、オスマン帝国内においては極端な思想統制は行われず文化的多様性が保たれており(そもそもイスラームの中でも宗派がいろいろあってスンニ派とシーア派だけでもかなり違う)、イスラーム芸術の本家ペルシアと同様に、絵画などの美術の腕が熱心に競われていた。16世紀末のこの時代、イスタンブールの芸術はペルシアを凌ぎイスラーム世界の頂点に達していたという。

細密画(ミニアチュール)に関しても例外ではない。ミニアチュールというのは写本に附属している挿絵のことだ。先にも述べたように、当時のイスタンブールにおいてはその芸術は限界にまで達しており、伝統的な技術からの脱却を模索する時期にあった。この小説の主人公はそのミニアチュール絵画の技師たちであり、それらの人々が章ごとに交代し一人称で物語を物語っていく。いや、語り部は人間だけにとどまらない。ときには犬や悪魔、果ては金貨や紅い絵具までが言葉を発し、イスタンブールの街を重層的に紡ぎ出していく。こういうと突飛なフィクションという印象を受けるかもしれないけれども、そうではぜんぜんなくて基本的には地に足がついたリアリズム小説だ。

イスタンブールのある現在でいうところのトルコ共和国は、キリスト教国のギリシャ、ブルガリア、グルジアアルメニア、さらにイスラーム教国のイラン、イラク、シリアが国境に面していることからもわかるように、歴史的に特異といえるほど多文化の混交する地域だった。特に首都イスタンブールは、長らく東ローマ帝国の首都でもあったという経緯に加え、地理的にもバルカン半島のトラキアと小アジアとも言われるアナトリアを股にかけた、まさにヨーロッパとアジアの架け橋として存在する地域であり、イスラーム文化圏でありつつもヨーロッパの文化を色濃く受けている都市だ。

ここで16世紀末という巧みな時代設定が生きてくる。当時のヨーロッパ美術は、ルネサンスという空前絶後の芸術革命を経た後であり、爆発的な爛熟の時代にあった。その影響は当然イスタンブールにも流れこむ。古典からの脱却を図り日々研鑽を努める絵師たちがルネサンス芸術から受けた衝撃は如何ほどばかりだったろうか。それらのヨーロッパの技術を自分の作品に取り込みたいと思うのは、芸術家なら当然の発想だろう。しかし、イスラーム芸術においては、ルネサンス芸術のように目に見えたものをそのまま描くのではなく、頭の中の絵を描かねばならない。それが神に背かない方法なのであった。ルネサンス芸術を自作に取り込むことは伝統の破壊であり神に対する背信につながる。芸術家達は苦悩し、自分たちなりの方法を模索していく。しかし、そこで絵師たちを対象とした謎の連続殺人事件が発生する……!

この作品は、イスタンブールという都市における文化の衝突と宗教の対立という特異な素材を扱いながらも、しかしそれでいて世界文学としての不変的な要素を一片も失わずに主軸とし、しかもミステリとして、エンターテインメントとしても抜群のおもしろさを持っている。そこが素晴らしい。

オルハン・パムクは日本ではいまいち知名度が低い作家だが、トルコの国民的作家であるとともに世界的にもとても著名な作家で、数々の傑作を発表し続けている。こう言うと陳腐に聞こえるかもしれないが、9・11以降の世界において最も重要な文学者といっていいだろう。イスラーム世界と西洋の対立というテーマをこれほど生々しく描ける作家は他にいない。2006年にノーベル文学賞を受賞している。

ぼくはこの『わたしの名は紅』を藤原書店から出たハードカバー版で読んだが、今年のはじめに早川書房から新訳の文庫版が出ていたようだ。価格も半分になっており好ましい(文庫本にしては高いけれど)。

また、この作品もすばらしいが『雪』はさらにおもしろいのでそちらも文庫化されることを強く期待している。