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J・M・クッツェー『恥辱』

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

クッツェーはほんとうにすごいとあらためて思わされた。

老境に差し掛かった男が性欲に振り回されて自分の務めている大学の教え子に手を出した挙句セクハラで訴えられて職を辞するはめになり恥辱を味わう、というあらすじだけを読むと全然おもしろくなさそうなんだけど、これが尋常でなくおもしろい。

不条理な暴力に突然巻き込まれる(『マイケル・K』)点であるとか、女に入れ込んで破滅する(『夷狄を待ちながら』)、動物を屠殺することに対する漠然とした抵抗感(『マイケル・K』)、肥大した自意識(『石の女』)、ポストコロニアリズム、南アフリカにおける裕福な白人という微妙な立ち位置、権力に対する不信、孤独と絶望、といった初期の著作に現れているテーマを集大成した作品となっていて、しかし重苦しくない。

『恥辱』とは話がずれるけど、『石の女』はこれまでの読書体験で味わったことのないくらい衝撃的な作品だった。ヘビー級のパンチが一文ごとに繰り出されるような小説で、主な登場人物が四人しかいないうえにほとんど主人公の語りだけで物語が進むにもかかわらず、狂騒的なカーニバル感があって読んでいてほんとうにぐったりする。圧倒的な密度の文章には頭痛がするほど。アフリカの片田舎に住む老いた処女が孤独感と肥大しきった自意識を崩壊させ終には喜劇へと至るという筋書きは、言うなれば川上未映子の『わたくし率 イン 歯ー、または世界』であるとか本谷有希子の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で扱われているテーマを三十年近く先取りしているわけだし、クッツェーの先進性がよくわかる。

それはともかくとして、この小説は比較的読みやすい方なので、まだクッツェーの作品を読んだことのないひとはこの『恥辱』から読むのがいいと思う。『石の女』のような一語も読み落とすことができないガチガチの硬質な文章ではなくて、ジョギング程度のテンションで淡々と進んでいく。『ダスクランド』や『敵あるいはフォー』のように難解でメタフィクショナルな仕掛けもない。ただ、徹底的に無駄を削ぎ落した文体に最初は面食らうかもしれない。読んでる時の感じはちょっと戯曲に近いかもしれないな。そういえば、クッツェーはサミュエル・ベケットの研究をしてたんだっけ。

この作品の主人公はみっともないし恥ずかしいしこうはなりたくないなと思わせるものがあるんだけど、これは自分とは関係のない話だとはどうしても言い切れない部分もあって、クッツェーはそこをついてくる。場所や時代が変わっても普遍の物語(まさに世界文学)と感じる。