J.M.クッツェー『石の女』

石の女 (アフリカ文学叢書)

八十五 どぎついピンクのスリッパをはいて、わたしは台所の床に立つ。つき刺すような鋭い陽の光に目をほそめ。うしろには仄暗い部屋の寝床の安息、目のまえには日課の家事のいらだち。眠気をさそうこの平凡な生活、この無知・無力に鞭打って逆上する娘の脅威を煽りたてられるだろうか? 恥辱に苦しむ父、居丈高な父と、厚かましいか、畏れ多いかの理由で身をうち震わせる若い女中とにたちむかうことなどできようか? 気のりしない。こんな羽目になるとは、つゆ思わずにきた。砂漠での暮らしはわたしになにもおしえてくれない。すべてが許されるということ以外は。さっさとベッドにもぐりこんで、親指をくわえて眠ってしまいたい。さもなきゃ、いちばん古い日よけ帽をさがし出して、この家が見えなくなり、セミがジージーいうのと、蝿が顔をかすめてヒューッと飛んでゆくのしかきこえないところまで川床をさまよっていきたい。わたしのテーマは永遠にたゆたう眠りと覚醒の流れで、人と人との確執の嵐ではない。この家がたつ石だらけの土地には、乱流、渦巻き、ブラックホールがある。わたしはそのなかで暮らしながら、心底それを忌み嫌う。森のなか、一群の卵のなかに命をさずかり、千匹もの姉妹たちとそろって殻を破り出て、なんでもなぎ倒す嘴の部隊にまじってこの世を侵略するほうがずっと幸せだったかもしれない。四方を壁に囲まれたわたしの憤怒はいき場がない。わたしのなかからほとばしり出るものは、漆喰、タイル、板、壁紙の面に反射して、この身に雨となってふりそそぎ、くっつき、肌をとおしてまた沁みこんでくる。わたしは二本の逆向きの親指がついた家事きりもみ機械みたいに見えるかもしれないが、じつをいうと、荒々しげなエネルギーがピクピクふるえる領域で、わたしを粉砕しようとするものがあればなんであれ、いつだって襲いかかる用意がある。外にころがりでて、広々としたところで、だれにも迷惑かけずに爆発すればいい、とつげる衝動もあるが、べつの衝動もあり──わたしは矛盾だらけ──、そっちは黒い後家蜘蛛みたいに隅にかくれて、通りかかる者を片っ端からわたしの毒液でからめとれとつげる。「自分にはなかった青春時代のうめあわせに、あれをつかまえろ!」わたしはシューッと凄味のある音をたて、ペッと唾を吐く。蜘蛛に唾が吐けるだろうか。

二二六 アンナのうしろに立って、両手を肩におく。ワンピースの襟ぐりから指を入れ、すっきりした若い骨をなでる。鎖骨。肩甲骨。こんな名称ではその美しさの幾許もつたわってこない。アンナは頭をひっこめる。 「あたしもときどきとってもかなしいのよ。風景のせいだと思う。」わたしの指がアンナの喉、顎、蟀谷をたどる。「気にするのやめましょ。じきによくなるから」

ひとは欲望をどうするんだろう? なんとなくものに目がゆく──ころがっている石、きれいな花、奇妙な昆虫。ひろって家にもちかえり、しまいこむ。ひとりの男がアンナのところと、わたしのところにくる。ふたりのなかにこの男をむかえ入れる。わたしたちふたりはこの男のもの。この男はわたしたちのもの。わたしは自分が生まれた大地のこの場所──先祖たちがよいところだと思って柵をして囲った場所の後継者。欲望の煽りをうけたらできることはひとつ。捉え、囲い込み、掴む。でもそうやって所有するってどれほどのことなんだろう? 花は塵と化し、ヘンドリックは交尾を終えて去る。大地に柵などしたってなんの意味もない。わたしが朽ち果てて塵となればここに石がくる。わたしが食べた食物だってわたしを通過してゆく。わたしはなにも欲望の英雄というわけじゃない。無限とか、手のとどかないものをもとめているわけじゃない。かすかに、半信半疑に、愚痴をこぼしながら自問する──欲望とは、欲望されるものを所有するためにけんめいに努力するだけのことなのだろうか? 所有の目的は欲望されるものを無に帰することにすぎないわけだから、これは端から虚しい企てにちがいない。女が女を、つまりふたつの穴、ふたつの空虚がたがいを欲望するとき、わたしの問はよりいっそう先鋭なものとなる。わたしが穴であり、空虚なら、あの娘もそうで、この解剖学的構造は運命だ。空洞、殻、薄膜がはった空洞がなにも満ちていない世界で満たされたいと熱望している。わたしはこの娘に話しかける。「あたしがどんな気持ちか、わかる? おっきな空洞──満たされるべき、成就されるべき欲望。欠如に満ちた空洞なのよ。でも、あたしを満たしてくれるものはないだろうとも思うの。だって、それが永久に欲望し続ける人生の第一条件だもの。さもなきゃ、人生はとまっちゃう。それが永久に成就されえない人生の鉄則なのよ。成就は成就しない。なにも欲望しないのは石だけ。でも石にだってあたしたちがみつけてない穴があるかもしれないわ」

アンナのほうへかがみこむようにして腕をさする。ぐんなりとしたその手をとる。アンナがわたしからもらえるのは、植民思想、うしろにどんな歴史もない言葉、ききたければわたしが手ずから作ってあげるお話。どんな女がこの子を幸せにしてあげられるかわかってる。昔、ほんとうにあった話をいっぱいしてくれる人──おじいちゃんが蜂から逃げて、帽子をなくし、二度と見つけられなかった話、どうして月に満ち欠けがあるのか、野ウサギがどうやってジャッカルをだましたか。ところが、わたしの言葉はどこでもないところからきて、どこでもないところへゆき、過去も未来もない。広漠とした永遠の現在の平原をヒューッと吹きやり、とくにだれかの腹を満たすというわけでもない。